今井五介さん♬

92回生のみなさん、引き続き、名簿登録と寄付をよろしくお願いいたします。

ところで、みなさんは今井五介さんを知っていますか?

松商学園高等学校を卒業して30周年になりますが、これからご紹介する今井五介さんがいなければ、私たちは他の高校の卒業生だった可能性があります。

1898年(明治31年)に私立戊戌学会ができました。生徒が集まらず、経営難の中、現れたのが今井五介さん!1911年(明治44年)に片倉財閥から多額の寄付をいただき、松本商業学校と改称し、今井五介さんが経営者になりました。

実は、みなさんが現役の時にも、旧講堂の扉の奥から私たちの姿を見守っていてくれていたんですよ♪学校にお願いをして、今井五介さんに会って来ました。

※この像は、当時の商工会議所が松本城の二の丸に銅像を建てるために作られた石膏像ですが、資金難で建てられずそのままになっているそうです。高さはなんと! 3.4mもあります。

今井五介さんは、その他にも、松本製糸場を日本一の工場にし、松本電灯株式会社を立て直し、その後、中央電気株式会社を設立して社長になり、1942年(昭和17年)に中部電力が引き継ぐまでの間、私たち、信州の電気を支えてくれました。

日本銀行が県庁所在地でもない松本市になぜあるか知っていますか?

当時、日本銀行が信越地方で支店を開設するという情報をGETした今井五介さんは、なんと、土地を用意し、見事誘致に成功! 行動力も抜群です。

その後、松本~大町間の線路建設が始まりますが、これまた資金難… またしても今井五介さんの出番となり、社長に抜擢され架橋や工事を根本的に見直し、当初予算の1/3で建設することができました。 みなさんが通った大糸線は、まさしく今井五介さんのお陰で開設されたんですね。

そんな今井五介さんなので、松本商業会議所(今の商工会議所)の初代会頭としても34年間務め、松本だけでなく、日本経済を支えました。

☆今井五介さんは、日本を代表する経済人なんです。

※みなさん、絶対に今井五介さんを忘れないでくださいね♬